松平親氏(ちかうじ)
 
親氏は、松平家の祖といわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。
年譜も、1298~1361年4月20日という説(大樹寺年譜はこちら)と、
1332~1393年あたり(1993年に豊田で親氏没後600年祭が開かれました)という説があります。
江戸時代徳川家の主張では、清和源氏の新田氏の士族徳川氏の家系で、
南北朝時代の争乱で敗れ出家し、徳阿弥(とくあみ)という名前で諸国を流浪していました。
そしてたどり着いたのが、三河の国賀茂郡松平郷。
時の領主、信重の歌会の筆役を行った事がきっかけで信重に見込まれ婿養子となり、
還俗し松平の性を興し、松平太郎左衛門親氏、と名乗ったそうです。
領主になってからは、「中山七名」と呼ばれる近隣の領主たちを滅ぼし、次々と領土を
拡大していきました。その反面、とても慈悲深く、寺社をいくつも建立し、
貧しい人に援助するなど、人々に慕われていたそうです。
親氏の墓は豊田市松平町の高月院にあります。

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