最終更新日:2019年09月05日
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岡崎市は徳川家康の生まれた場所。松平家・徳川家の氏神として、家康も願をかけた場所です。 純情きらりのロケ地で、桜子が女学校に向かう途中の、桜のきれいな道として使われました。

交通:JR岡崎駅/名鉄東岡崎駅からバスにのり「八幡社前」バス停前
カーナビマップコード:51785065*45 (駐車場)

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赤鳥居

名鉄バス、「八幡社前バス停」を降りると、赤鳥居があります。

(通称)八幡さんの由来です。
文明2年(1470)、松平四代の親忠が、松平家の氏神として、家運長久、子孫繁栄を祈願するため、社を三重県の伊賀から三州額田郡井田村へ移したのが始まりといわれています。
もとあった地名にちなんで伊賀八幡宮と呼ばれ、地名も伊賀と改められました。
本殿、随身門(ずいしんもん)、神橋など、目に触れるほとんどのものが国の重要文化財に指定されています。昭和40年(1964)から3年がかりで、随身門ほか4棟が解体修理されました。

看板より

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伊賀川

伊賀川には、赤い丸太橋(神橋)が架かっています。これは昔からの光景なのですが、平成20年(2008)のゲリラ豪雨で伊賀川が改修され、昔とは川の様子が一変しました。

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朝ドラのロケ地でした。

この場所は、連続テレビ小説「純情きらり」のロケ地だったのですが…、伊賀川が改修されたため、当時の面影は、ほとんどなくなってしまいました…。


神橋を渡ると、いよいよ境内です。

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蓮池

国の重要文化財の石橋(神橋)があります。
実は私、小学校の頃は普通に、この石橋に登って遊んでいましたよ~(^-^;
(橋の坂が結構急ですヨ…w)

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略記

文明2年(1470)、松平四代の親忠が、松平家の氏神として、武運長久、子孫繁栄を祈願するため、社を三重県の伊賀から三州額田郡井田村へ移したのが始まりといわれています。もとあった地名にちなんで伊賀八幡宮と呼ばれ、地名も伊賀と改められました。家康の父広忠も、白羽の矢の伝説(※1)があったり、家康にも神使いの鹿が現れたり(※2)、関ヶ原の戦いや大阪の陣には神殿が鳴動し鳥居が移動するなど不思議なことがいろいろ起こり、家康も出陣の際には必ず勝利祈願をするなど、松平家・徳川家に非常に信仰の厚い神社と なっています。

(※1)白羽の矢の伝説
織田信秀が岡崎城を攻め取ろうとしたとき、八幡宮に祈願して井田ケ原に迎え撃った そのとき先頭に馬に乗った武者が現れ、敵陣めがけて白羽の矢を放った。 すると八幡宮の森の上から黒雲が湧き、嵐を呼んで、白羽の神矢が雨のように敵陣に飛んだ。 たちまち、敵方の3万の兵は退陣した。
(※2)神使いの鹿
桶狭間の戦いで今川義元が倒れ、戦に利なく軍を引かそうとしたとき、 矢作川に八幡宮の神使いの鹿が現れ、家康は無事に大樹寺に入る事が出来た。

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境内

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随神門(ずいしんもん)

神域を守護する「随神像」が、左右に安置されている門です。

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境内

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本殿

応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現(徳川家康)が祀られています。
権現造(本殿、幣殿、拝殿が上から見ると「エ」の字につながっている)で、 三代将軍徳川家光が寛永13年(1636)作らせたのが現在の社殿です。

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蓮池のハス

伊賀八幡の蓮池は昭和の終わりごろ、水質の悪化などで、ハスが全滅してしまったそうです。
その後、氏子さんたちの努力で、2005年、20年ぶりに再びハスの花が咲きました。
ハスの花は6月下旬ごろ咲き、スケッチや写真を撮る人々でにぎわいます。

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おすすめスポット

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あまりにも近所の僧侶の行いが悪いので、
伊賀八幡宮の神主が「僧侶を教育しなおしてよ」と文句を言った、ということで建てられた、僧侶の修行のための道場です。


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