撮影日:2019年09月12日 15時17分
カメラ:メーカ=Panasonic モデル=HC-X900M

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浄水鉢の由来(要約)

この石は、飛騨の門原村(現在の下呂市門原)、飛騨川のほとりの、孝子水と呼ばれる場所の、孝子岩と呼ばれる岩の一部です。
孝子岩の由来は、南北朝、正平時代(1346~1370)の昔、南朝の家来、門原左近と、その子供の右近親子がサムライを捨て人足を生業としながらひっそりと暮らしていました。そこから、この地を人々は門原村と呼ぶようになったとか。
ある日、父左近が病にかかり、いよいよ命も尽きようとしているとき、琵琶湖の水が飲みたいと、息子の右近に頼みました。右近は、すぐに水を汲みに行きましたが、その帰り、あと少し、というところで、父が亡くなった、と知らせを受けます。右近はとても悲しみ、残念だと思い、汲み取った水をこの地に捨ててしまいました。そこから、この地は、孝子水と呼ばれるようになり、岩を、孝子岩と呼ぶようになりましたとさ。ちなみに、この場所、大雨洪水が起ころうとも、水が濁ることはなかったそうです。
その孝子岩の浄水鉢は、とても珍しいものである、と、寄進されたそうです。

※岐阜県下呂市に、考池水(孝子ケ池)という池がありますが、それが、同じエピソードがあって出来た池だと思うのですが…。
そこの池の看板には、「左近が、母親のために琵琶湖の水を汲みに行く」、というお話に変わっています。全然、父と子のお話ではないですね~。どちらが正しいのでしょうかね??

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