松平広忠(ひろただ:1526~1549年3月6日)
 
広忠が幼少の頃は、分家の松平信定が本家を乗っ取ろうとし、
広忠は身の安全のために幽閉されていました。
広忠も元服し、今川家の援助を得て信定が降参した後は、
本拠地の岡崎城に戻ることができましたが、
今度は織田軍が三河を侵攻してきて、今川家に、息子の竹千代(家康)を人質にする代わりに
加勢してもらうよう頼みました。
24歳で若くして亡くなった広忠の死に関しては、様々な説があります。病死説、暗殺説など。
暗殺説は、岡崎城内で、家臣の岩松八弥に暗殺されたとあります。
使われた刀は、またもや村正でした。

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