天恩寺駐車場に、こんな看板がありました。
天正3年(1575)、徳川方である奥平定昌の守る長篠城は、武田軍に幾重にも包囲されていました。
外部との連絡のために密使となった軽輩、鳥居強右衛門は、武田郡の包囲網の脱出に成功し、
岡崎城に向かってひた走りに走りました。岡崎で家康・信長の援軍の確証を得ると、すぐさま引き返し、
長篠城へ戻ろうとしました。ところが武田軍に捕らえられ、助命と恩賞の引き換えに「援軍は来ない」と
伝えよと命じられてしまいます。
それでも強右衛門は「援軍は2・3日で来る」と城中に向かって呼びかけました。
武田方は激怒し、強右衛門を、磔(はりつけ)にして殺してしまいました。
人々は強右衛門の行動に大いに感動し、このエピソードは後々まで語り継がれていきました。
この強右衛門が岡崎まで往復した道筋は確かなことはわかっていません。
奥平氏の勢力下なので土地の様子が良くわかっていたことから、
大平~額田~天恩寺前から山を回っていったものと思われます。
撮影日:2006年07月15日 15時15分
カメラ:メーカ=FUJIFILM モデル=FinePix4500
Copyright:
カメラ:メーカ=FUJIFILM モデル=FinePix4500
Copyright:
0件のコメント