最終更新日:2019年10月20日
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しかみ像

しかみ像

寄贈者 徳川宗家18代当主 徳川恒孝氏
製作者 小林道明氏

世に云うしかみ像『徳川家康三方ヶ原戦役画像』は、浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いを挑み、負け戦となり多くの家臣を失った家康が、自戒の念を忘れることのないように描かせたものと伝えられ、顔をしかめて苦渋の表情をあらわした珍しい肖像画です。このしかみ像は、かの画像を基にして製作された石像です。
元亀3年(1572年)10月3日、2万7千の大軍を率いて甲府を出発した壮年 武田信玄は、遠江に侵入すると徳川方の城を次々に落とし、12月には家康の居城である浜松城に迫りながら攻撃を行わず三方ヶ原に青年 家康を誘い出し大敗させ、家康最大の危機としました。命からがら城に逃げかえった家康は、将としての冷静さを失った自分を大いに反省したのであります。
自戒の像である「しかみ像」は、やがて戦乱の世を統一し、世界に冠たる平和国家を創り上げる礎になったと言われます。

平成19年11月10日

しかみ像写真館

しかみ像のエピソード「悔悟と成長」

地の利を活かせば必ず勝機はある、家康公はそう考えていたのでしょうか。
「このまま、我が領地を素通りさせてはわが徳川末代までの恥」
血気に逸る31歳の若き将は、徳川の面目と武門の誉れを真先に優先し、家臣の諫言にも耳を貸さず武田信玄との真っ向勝負に挑んだのでした。その結果、実に多くの優秀な家臣たちがその命を失う結果になってしまったのです。しかみ像は家康公が命からがら浜松城に戻った直後、絵師に命じて描かせた自画像と伝えられます。過ちは二度と繰り返さない、自分を厳しく戒めた天下人徳川家康の原点の姿がここにあります。

「全国都市緑化あいちフェア(2015)」の「しかみ像」説明文より

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