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平安朝の頃、安部晴明公(天文博士)が諸国遊歴の折、この地に来られ居を構え、
陰陽術を伝えられました。ある日、神夢により井戸を掘り、霊水の湧出を見て、
萬人を救出されましたので、諸国の人々の信を集めて、その徳を慕って遠近より
集まる人続出したと伝えられています。その後、旧居に清明塚を築き、井戸を
晴明井と命名して永く保存いたしました。
寛政12年(1800)9月30日、材木町の人阿部理八は、その遺徳を偲び神祠を建立し、
五輪石の一部を納められました。これが当社の起源であります。
天保3年8月20日、岡崎城下大火災の時、奇しくもこの社のみ残ったといわれています。
天保6年社殿を再建し、明治11年9月、日光稲荷、津島社と合祀しました。
これより本町の崇敬者、いよいよ信仰厚く祭事を盛んにし、開運、商売繁盛、
安産の守護神として晴明井の神水を授与される人が遠近より集まり、「岡崎の晴明様」
として特殊信仰を世に知られるようになりました。

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